新型コロナウイルスの影響を受けた家計への支援策として、1人一律10万円の給付が決まり、5月1日からオンライン申請も始まりました。
筆者も早速、オンライン申請をやってみました。
お役所システムの割にはそこそこ使いやすくできていて、特にストレスなく申請できましたね。
オンライン申請だと、口座番号とかもウェブ画面の写真を送ればOKなので、スマホ1台で全て完結します。
オンライン申請はマイナンバーカードが必須なので、やっぱりマイナンバーカードはあると便利ですね。
ちなみに給付を受けられる人は下記と定められています。
- 給付対象者:基準日(令和2年4月27日)時点で、住民基本台帳に記録されている者
- 受給権者:給付対象者の属する世帯の世帯主
マイナンバーカードの交付のときにも似たような指摘がされていましたが、
DV被害で避難している人とか、
虐待被害を受けて避難している人とか、
事情があって実際に住んでいる場所と住民票が一致しない人が受け取るのは難しい。そういう場合は、被害者の代わりに民間団体が代理で給付の申請することもできるそうです。
しかし、それ以外にも “戸籍はあるが住民登録がない人” が数十万人規模で存在するそうで、そういう人達を捕捉して給付が受けられるようにするのは難しいんだろうな、というのは想像に難くない。
そういった個別の事情への対応は人力でやるしかないでしょうから、自治体職員の皆さんは本当に大変だと思います。くれぐれもお体に気をつけて頑張っていただきたいです。
こういうときに改めて思うのは、日本の様々な制度は “住所があることを前提として作られている” んだなぁ、ということ。
日本は “住所があって当たり前”、つまり “定住生活をしているのが当たり前” という価値観の民族なんですよね。
そんなの当たり前やん、って思いますが、一方で世界には “定住してないことが当たり前” という民族もいます。
いわゆる “遊牧民族” の方々です。
Contents
“住所という概念が無い” 遊牧民族
“住所があって当たり前” で、”住所が無い人は特別な事情がある人” という国に住んでいると普段は想像つかないんですが、
移動型の牧畜を生業にしている人々、いわゆる “遊牧民族” は定住生活をしていないので、“住所という概念” が無い。
なので郵便物を届けるのも難しいそうな。
今どこにいるか分からないんだから、そりゃあ無理だよね。(モンゴルとかだと私書箱を活用してるそう。)
訪ねていくことすら難しそう。
遊牧民族の社会では “氏族” が住所のような役割をもっているそうな
住所が無いと不便じゃないの?と思うじゃないですか。
しかし、代わりになる仕組みというか、遊牧民族ならではの文化があるということを、以前読んだ「 「あたなの氏族はどうなっているの?」と訊き、ノートに書き出してもらったことがある。すると以下のようになった。 イサック氏族 ハバル・アワル分家 サアド・ムセ分分家 イサック・サアド分分分家 アボコル・イサック分分分分家 ジブリール・アボコル分分分分分家 レール・ウマル分分分分分分家 バハ・ウマル分分分分分分分家 マゴル・カダン分分分分分分分分家 ~中略~ 要するに氏族は、日本人のような定住民にとっての「住所」もしくは「本籍」みたいなものなのだ。
![]() | 謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア (集英社文庫(日本)) [ 高野 秀行 ] 価格:1,012円 |

アフリカの遊牧民族であるソマリ人は、始めて会った人には必ずどこの氏族の人かを聞くそうな。
すると、その氏族のどこかしらに必ず誰か知り合いがいるので、氏族の網を辿れば個人を特定できて、ウソをついてもバレるし、何か悪いことをしても捕まえることができる仕組みになっている。
氏族、つまり血縁とか親戚の関係性が信用を担保しているから、氏族間で争いが起きなければ平和が保たれるし、定住生活をしていなくて住所が無くても、その氏族の網を辿れば個人に行きつける、ということらしい。
凄くない?この仕組み。知ったときはマジで目からうろこでした。
今日の投稿で言いたかったのはこれ。
存在するのが当たり前だと思っていた住所ってものは、あくまで農耕民族の社会だから通用する仕組みでしかなくて、住む社会が違えばまた別の仕組みがあるという衝撃。
法律とか制度なんてものは、先にその土地なりの文化があって、その上に成り立っているものであり、絶対ではないってことです。
逆に、法や仕組みから先に作って社会を組み立てた唯一の国がアメリカだったりするわけですが。
※ちなみにこの「謎の独立国家ソマリランド(高野秀行著)」ですが、物凄くおすすめです。
現代的な制度は農耕民族的な価値観で作られている
世界史の視点で見ると、紀元前から16世紀頃まで、農耕民族 vs 遊牧民族 の時代が長く続いていました。
13世紀に成立したモンゴル帝国時代をピークにして、今でこそ徐々に衰退している遊牧民族ですが、それまでは農耕民族は騎馬民族に蹂躙されるのが常でした。
騎馬を操る遊牧民族ってめちゃくちゃ強かったんですよね。
老若男女問わず、ほぼ皆が近代までの最強兵種 “騎兵” だったという戦術的な強さに加えて、常に移動しているので拠点がどこにあるのか絞れず、攻めようがないという戦略的な強さもあって、農耕民族は常にボコボコにやられてたわけです。
現代のように農耕民族が世界の覇権を握ったのは、わりと最近のことだったりします。
で、農耕民族が優勢になって数百年が経ち、私達が知る現代的な社会が形成されてきたわけですが、いわゆる現代的な社会制度ってのは、農耕民族的な価値観を元に、定住生活を前提に作られてます。
住所とか住民票ってのがその典型だし、住所がある自治体(=定常している場所)に払う税金である住民税もそう。
教育だってそう。常に移動してる生活じゃ、毎日同じ学校に通うとか無理でしょう。
そして現代的な社会制度のルーツは西洋にあります。
よく日本人は農耕民族、西洋人は狩猟民族、みたいな言われ方しますけど、あれウソですからね。
西洋人も、みなさん筋金入りの定住生活文化の農耕民族です。

テクノロジーの発達で遊牧民族的な生活が可能になる?
つーことで、農耕民族的な価値観の下で近代化が進んできた今の私達の社会ですが、ここ最近で急に流れが変わってきてるような気がしません?
テレワーク環境が発達して遠隔でも仕事ができたり、
通販も駅やコンビニで受け取れたり、
食事のデリバリー利用も増えてきてるし、
車の自動運転化が進めば車を持つ必要も無くなるし、
多くのテクノロジーの発達によって、多くの人にとってノマド(遊牧民)ワーカー的な働き方が、身近なものになりつつあります。
ホリエモンなんて「家に帰る時間が無駄」と言って、自宅を持たずに常にホテル暮らしをされてるそうです。
そこまで行くと極端な例ですけど、でもたしかに、生活に必要な機能がサブスク化していけば、車に限らずモノを持つ必要は無くなるので、自宅を持つ必要性が薄れてくるのは当たり前かも。
家が必要なければ、家賃とか住宅ローンみたいな固定費からも解放されて、収入やその時の仕事、生活に都合の良いところに泊まればいいんだし、大変合理的です。
ありかも。遊牧民族的な暮らし方。
でもちょっと待てよ。
自分一人とか、夫婦でそういう生活をするのは良いでしょうけど、子供は?
学校は?しょっちゅう転校させるの?
「オンライン授業でいいじゃん」って?
いやいやそういう方法論とか効率の良し悪しの話ではなくて、まだ自立していない子供に対して、一般的ではない、ちょっと世間から浮いている親の価値観を押し付けていいのか?強要することになってもいいのか?ってこと。
「今の “常識的な生活” だってある意味では価値観の押し付けじゃないか!」って?
そういう屁理屈で片づけていい話じゃないんですよね。自分の子供の話は。
やっぱダメだ。普通に生活しよう(・ω・)。
——————————
今日はここまで。ではでは~。