働き方を考える

日本のムラ社会の良いところ

日本の “ムラ社会” ってどんなイメージでしょう?

閉鎖的、排他的、多様性が無くて、出る杭は打たれ、内向きで進歩を拒否していて、掟に反したら村八分にされる、とか?

ネガティブなイメージが多いんじゃなかろうか。

閉塞感に覆われた今の日本社会を象徴するようなワードですし、筆者もあんまり良いイメージは持てないですね。

ただ、ムラ社会と言っても必ずしも地方にだけ存在するわけではなく、都心にある企業だって一皮むけば中身は内向きでムラ社会化してるなんて話は履いて捨てるほどあります。

企業に限らず、お役所も、学校も、大学のサークルも、学会も、ムラ社会化してるところなんていくらでもありますし、自分の所属するコミュニティが「外とつながってない」「独自の論理で動いている」と感じたことのある人も多いんじゃないでしょうか。

地元に閉塞感を感じて、大学入学とか就職を機に都会に出てきたはずなのに、結局またムラ社会的な共同体の一員になってたり、自分がムラ社会を作ってたり、何とも皮肉というか、もはやこれは日本人の “業” なんじゃないかと思いますね。

筆者も “ファック ムラ社会” な価値観の人間ですけど、最近はもうそういうもんだし、この日本の特質は変わることも無いし、逃げられないものなんだから、むしろその特質を上手く生かすことを考えた方が良いんじゃないかと思い始めました。

そう考えると、結構良いところも見えてきたりするものです。

特に製造業の現場で顕著だと思うんですけど、ムラ社会化することで構成員の創意工夫を引き出してきた側面はあると思いますね。

所属する共同体の役に立ち、何らかの役割を果たしていないと居場所を失うってのがムラ社会の基本原理ですが、共同体の一員として自分の共同体を守り、発展させるために自分で考えて何かやれよってことを構成員に “常識” として強いることで、自発的な創意工夫を引き出してきたんじゃないでしょうか。

本来、会社を守るとか発展させるなんて話は一部の幹部に課せられた職務であって、普通の職員は決められた職務をこなしてればよい、ってのがグロバルスタンダードな働き方です。

しかしこういう日本的なムラ社会の原理が働くことで、一般社員までが共同体ために一生懸命自発的に創意工夫をするってのが、日本の強さなんでしょう。

例えば製鉄所とかだと、下請けなどの関連の雇用を合わせると10万人くらいの人が働いていると言われてます。

その規模になるといわゆる企業城下町ってやつを形成していて、地元の雇用と税収入の大部分を生み出す、地元にとって無くてはならない存在になってます。

そうすると大抵の人がその工場に関連した仕事をしている状態になって、一種の運命共同体が形成されます。直接的に工場を動かしている工場の職員だけではなく、下請け業者の人も、役所の人も、部品の納入業者の人も、地元商店街の人も、近所の飲食店の人も、工場が無くなると多かれ少なかれ自分の生活がやばくなります。

工場の事が他人事じゃなくなるわけです。

そんな中で、上下関係を作って上意下達で動かそうとすると言われたことしかしなくなりますが、建前上はみんな平等な中での運命共同体なので、各々が自発的に創意工夫をし始めます。次第にそれが当たり前になって、求められるようになり、やってないように周囲に映ると「あそこはダメだね」とか「あそこはちょっと変わってるね」みたいな感じで距離を置かれたり、村八分にあったりするわけです。

みんな頑張ってるんだから、お前も何か役に立てよ、という感じで。

望んでそこにいる人はいいでしょうけど、たまたまそこに生まれただけの人間からすると閉塞感を感じるのも仕方無い話だと思いますけど、社会に尽くし、社会に居場所を作って、社会から必要とされるってのは悪いことでは無いし、そうやって引き出された人間の創意工夫が日本を経済大国に押し上げたのも間違いないでしょう。

以上、ムラ社会の良いところは何か?という話でした。

日本的な創意工夫の引き出し方としてムラ社会の原理が機能してきたって話ですが、今はどうなんでしょう?めちゃくちゃ弱ってる日本の産業ですけど、現場での創意工夫は以前ほど活発に生まれてるのかな?

今日はここまで。ではでは~。

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