サラリーマンの人生設計の話

父親とは何か?父親の存在意義を改めて考えてみた話

その辺のパパが考える子育てと父親の存在意義

いきなりですが、筆者には1歳になる子供がいます。年齢は30代後半、職業は会社員。どこにでもいる普通のサラリーマンです。今日はそんな普通のサラリーマンが子育てと父親とは何か?と考えたことを、つらつらと書いてみます。

父親の存在意義と役割とは何なのか、そんな答えの無い問いに悩むパパ達に読んでいただきたい話です。

父親の存在意義が失われている?郊外は父親がいない街

筆者は1980年代生まれの30代後半。ロスジェネでもなくゆとり世代でもない。 ロスジェネが1970年代半ばの生まれで、ゆとり世代が1987年~2004年生まれだそうな。 別に名前を付けてほしいわけでもないけども、特徴がないと認識されてるみたいでなんか寂しいなあ。それとも筆者が知らないだけなのか。地元は兵庫県南部。神戸か大阪あたりに職場のある、所謂ベッドタウン的な郊外の中流核家庭で育った人間です。

一般的な郊外のベッドタウンには父親の姿はありません。昼間は会社に行っているし、夜になって帰ってきて家の中にいるから働いてる父親を見る機会は基本的に無い。そして母親は専業主婦というのが筆者くらいの世代では一般的でしょう。そうすると生産者、労働者の姿を見る機会があまり無い。

小売店で働いている人など、限られた仕事の場はあるけれども、世の中にある多種多様な職業のほんの一部しか見えないのがそういった郊外ベッドタウンの一般的な姿です。

母親と子供の街 消費に特化したベッドタウンという空間

生産、労働の担い手であるおっさんは都心で働いていて日中何をしているかは全く分からない。母親と子供だけがいて生産や労働が切り離され、純粋に消費に特化した空間が郊外ベッドタウンという場所なんでしょう。

純粋に消費に特化した場所なのだから、そこで生活する人々の価値観もそれに沿ったものが醸成されます。それは生産活動、即ちどうやってお金を稼いでいるかよりも消費活動、即ち何にお金を使っているかが大事という消費中心の価値観です。

テレビを見ればルーズソックスを履いた女子高生が消費の主役ともてはやされ、みんな同じ格好、みんなでミスチル、B’z、小室ファミリーのJポップ(なつかし~)を聞くのが普通、ハワイに行ってブランドもの買うのがトレンドです~みたいな。
だから、少し刺激的な消費活動というか遊びを知っていたり、そういう活動のリーダーシップがとれたり、ファッションに長けていたり、スポーツが上手かったりと、そういった価値観の中で少しの差別化が出切る者が評価される。今で言うところのリア充って感じか。そういった光景には見覚えがあるんじゃないでしょうか。

そこに安物のスーツを着てよれよれになって必死に頑張っているおっさんの居場所なんてあるはずもなく、居場所を作ろうと思えば家族サービスと言う名目で消費活動に寄せていくしかない。そう、結局消費活動で母親と子供の価値観に寄せるしかないということ。生産や労働の尊さやかっこよさなんて見えないし、感じようもない。

生産と労働は人間社会の根幹

しかし生産と労働が無い人間社会なんてそもそも成り立つはずがない、ファンタジーの世界じゃないんだから。個人としても、生産活動や労働を通じて社会の役にたってこそ居場所が与えられるわけで、ずっと消費だけやっていて自分の居場所を自分で作れる人間になんてなれるはずもない。

もちろん消費活動そのもので集客するようなインスタグラマーになるとか、プロの競技者になるとかエンタメの世界で生きるという選択肢はあるけれども、しかしそれであってもどうやってお客さんに喜んでもらうか、どうやって提供価値を差別化するか、といった仕事としての視点は当然あるわけで、純粋な消費行動なんてものではありえない。

“父性” と “父親の役割” と “社会との関わり方”

生産者、労働者である親父(必ずしも父親や男性である必要はなく、母親がこの役割をやっているケースだってある。要は父性を持った存在のことを言ってます。)を通して、社会に貢献してはじめて居場所が与えられるというリアルな世間を知り、世間との関わり方を知り、自分の生き方を考え、もっと視野を広げて社会の在り方を考えさせる、そんな機会を生むのが社会における父親というか父性の役割だと思うのです。それが無くなる、普段目にする社会から労働者、生産者が見えなくなるということは、即ち社会から父性が見えなくなるということと同義でしょう。

そうすると、社会と自分の関わりを深く考え、どんな職業に就こうかと考える機会も無くなり、そのためには何を勉強すれば良いかを考えることもないので、とりあえず与えられた課題をこなして言われた通り勉強していい学校に入っていい会社に入るというレールに乗るしか選択肢が無くなってしまう。

そしてそこから外れると負け組、という偏狭な価値観が人生観を縛り、無事にレールに乗っている者も自分で物事を考える力を失っていき、レールから外れることを恐れて挑戦する活力を失っていく。う~~~ん、これぞまさに閉塞感なんじゃないのか。

悩ましい。。背中で語れ?現代社会における父親とは?

いやいやそんな難しいことを考えなくても毎日なんとなく楽しく過ごせていれば人間生きていけるやろ!とも思います。

ただ今1歳になる自分の子供のことを考えると、どうなんでしょう。毎日朝早くから夜遅くまで会社で仕事、子供にはその姿は見えず、平日関わる時間はほぼ無く、基本的な躾は母親まかせ、週末に何とか家族サービスの時間を確保、たまに厳しく勉強しろと言ってうざがられつつも、頑張って良好な関係を保って日々を過ごす。

いやこれをこなすだけでも大変なんですよ。そんな当たり前を一生懸命こなしている世の中の普通のお父さん、尊敬しますよまじで。しかしこれだけで十分なのか? 親の役割って、子供を自立し自律した人間に育てることだと筆者は思っているけども、これだけやってりゃ十分に自立してくれるとか、言い切れるのか?

父親は背中で語るとか、古臭いことを言うつもりもないけれど、やっぱり社会との関わりを体現している父性の存在ってのは必要なんだと思うわけです。

でもなあ、サラリーマンやってるとそれって難しいなあ。。

皆さんはどう考えますか?  

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