最近会社にいると、やたらと多様性って言葉を聞く。
企業で社員の多様性っていうと、外国人を増やさないとダメ、とか女性管理職を増やさないとダメ、とかLGBTを雇え、とか規制っぽい話にもなりかけてて、違和感を感じている人も多いと思われる。
これ、結構センシティブな話で、欧州だとLGBTや障がい者を何%雇え、というような目標値定められてて、その結果がマネジメントの査定基準になってたりするもんだから、一般的な大卒成人男性がLGBTでも無いしハンディキャップも持ってないことを理由に就職を断られ(!?)、逆差別だと言って裁判所に訴えて勝訴したという話があったりとか、なかなかにカオスな状況だったりします。
アクセシビリティという考え方
ただ製造業の人間として合点がいく話もある。
年齢や障がいによる制約を抱えている人は世界中で約10億人いると言われており、世界人口の約15%に相当する。だいたい7人に1人が年齢や障がいで何らかの不自由を抱えているということ。
そういう人達が使い易い商品やサービスを提供する考え方を ”アクセシビリティ” と呼ぶそうな。そして日本を始めとした先進国(+中国)は社会の高齢化が進み、多様性を尊重する価値観にも形成されつつあるのでアクセシビリティの必要性は間違いなく高まる。
だって人口の15%よ?7人に1人よ?無視できる割合ではない。
アクセシビリティを必要とする人は15%より多いかもしれない
日常生活に何らかの不便さを感じている人々ってのはほとんどの場合は、高齢者や障がいのある人達である。
しかし、そういう制約があるユーザーってのは何も “今の” 高齢者や障がい者だけには限らなくて、普通の人でも40歳頃から老眼も始まるし耳も遠くなる。老化に限らずとも、ケガとか荷物で手がふさがっている状況とかは普通にある。子供を抱えてる親だって自由には動けない。誰しもが制約のあるユーザーになる可能性は十分にあるのである。
ということはアクセシビリティを必要とする人は、人口の15%より潜在的にはもっと多いのかもしれない。
なので制約のある人に配慮した、アクセシビリティのある製品やサービスを作る、というのは全然青臭い綺麗ごとじゃなくて、商売上も益のある話なのである。
アクセシビリティのある商品を作るには
具体的にアクセシビリティのある製品って何?って話だが、古くは映画の字幕なんかが分かりやすい例だろう。耳が聞こえなくても、言葉が分からなくても話が分かるという画期的な発明だ。最近だとゲームとか映画でも字幕の文字の大きさとか色、背景色を変えたりできるようになってたりもする。
じゃあどうやってそういうアクセシビリティのある製品やサービスを設計すれば良いのか、というと開発、企画、設計の段階から参加してもらって一緒に考えてもらうのが一番良いと言われている。
だって日常生活に制約の無い人にはそういう人の気持ちや行動は分からないし、普通の人にはそれを的確に想像するような想像力は無い。
そしておそらく普通の人が想像だけで言っても説得力が無いから組織を動かせない。制約のある人の話なら真摯に聞くでしょう。
そして実際に不自由な状況で生活している人達と一緒に商品を考えることで、見過ごしがちな日常の不便に気づけたりもする。
そういう制約があるユーザーの知恵を借りたり教わるってことは、普段見過ごしている不便に気づいて、潜在ニーズに気づき、より優れた商品やサービスを作ることにつながる。
それがより幅広いユーザーの利用しやすさにつながる。
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心身健康な成人男子、っていういわゆる普通のサラリーマンってのは人口という観点からは、社会の中の限られたカテゴリーの人達なのである。そんな限られた人達だけで商品を考えても、今後は世の中に刺さるものなんか考えられないケースが増えると思われる。
そういう意味で多様性というのは世の中のためになるし、結果として企業を救う話なのである。
以上っす。